高校の時の思い出
もう30年以上前のことになる。
当然よく覚えていない。
普段から記憶が不明瞭な私だから尚更だ。
それに基本的に昔を思い出すのは、年寄りになった証拠だし、忙しければ思い出す暇もないはずだとか、訳のわからない理屈をこねて、思い出すことは、あまりない。
でも、今日、フェイスブックで、知り合いが、高校時代の思い出を語っていて、それが、さも珍しいだろう風に書いてあったような気がして、自分も少し自慢したくなった。
実際は知り合いの書き込みにそんな意図はないだろうし、私がフェイスブックで、高校時代の面白い話をしても、誰も面白くないだろうから、やめておく。
そう、自分が面白かったことが、他人には大して面白くないことは、最も一般的オチだからだ。
で、ここに書くことにした。
ここなら、誰が読むこともないだろうし、自己満足の世界で、ほとんど非難されないだろうと思ったからだ。
この時点で
なんだかなあ。
である。
さて、私の通っていた高校は、私の価値観からすると、かなり変わっていた学校だった。
何せ、休講なんていう単語が存在していた位だ。
大学に入って、休講という言葉が出て来た時に、友人に高校の時もあったと言ったら、かなり驚いていた。
で、何故、先生が休むと休講という単語になるかというと、そう、先生が休みだと、他の先生が授業するとか、自主学習になるとかが普通で、それなら休講という単語は、生徒にとっては、どうでもいい単語になるはずが、うちの高校では、先生に頼むと後ろの方の授業を休講の時間にやってくれたりして、早く帰れたりするので、休講情報は、とても貴重だったためだ。
それから、頻繁に休講にする先生もいたりして、発生する頻度が高かったこともある。
ある先生は、今日は妻が医者に行くのでとか言って休講にしたりした。
今ならまあ驚かないが、30年以上前の話だ。
休講というのは、私の中では、授業を繰り上げて早く帰れたり、頻繁に授業を休む先生がいる不思議な学校の代名詞でもある。
また、公立高校にもかかわらず、かなり自由だった。
制服はなかった。なかったと言うより服装は自由だった。
かく言う私も、一時、今でいうワークマンで売っているような、工事現場に着ていくようなズボンを履いていたり、下駄で通ったこともある。
これと同じジャンバーで通ったこともあった!
男女共学で、男女交際についても、かなりオープンだった。
何せ、カップル専用かのような駅からの通学路も存在していた。(これは、少し夢を見ているかもしれないが)
近所で、夜、酒がらみで補導されるのは、ほとんどうちの高校だった。(一応進学校だが。)
生徒の自主性を重んじる高校で、体育祭も文化祭も生徒がかなり勝手に決めてやっていた。
まあ、監督係の先生は、大変だろうけど、大多数の先生は、楽だったんじゃないだろうか。何せ実働はしないのだから。
そう、文字通り先生は何もしない。
書類も作らない、父兄への手紙も作らない、準備も学生がする、後片付けも学生がする。
だから、生徒会や役についた人間(生徒)は大変だった。
連日帰りが9時、10時になることもあった。
だから、監督役の先生は、大変だったろうけど。
生徒の自主性を重んじるという意味では、修学旅行とかも、かなり画期的だと、思っている。
思っているだけだから、これが普通だって言われると少しショックだけど。
携帯もない時代に、自由行動があったのだ。
しかも数時間とかじゃない。
丸一日。
2泊3日だか、3泊4日の修学旅行で、1日自由行動だ。
もちろん複数名の団体行動だが、先生はついてこない。生徒だけ。
事前に計画は提出させられるけど、京都市内ならオーケー的な、かなりアバウトなもんだった。
さて、ここまで書いてきたが、やっぱり、
なんだかなあ。
だ。結局は思い出で、自慢でしかないような気がする。
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