また提灯記事につっこんじゃった(vs若者貧困記事)

どうもこういう記事を見ると、どうしてもつっこんじゃうんだよな。
情報源: 「若者の貧困」に大人はあまりに無理解すぎる | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
ええ、そうです。
あまりにも無理解な大人の代表です。
jiritutop1-min

生活困窮者支援を行うソーシャルワーカーである筆者は、若者たちの支援活動を行っていると、決まって言われることがある。
「どうしてまだ若いのに働けないのか?」「なぜそのような状態になってしまうのか?」「怠けているだけではないのか?」「支援を行うことで、本人の甘えを助長してしまうのではないか?」などである。
要するに、"若者への支援は本当に必要なのか?"という疑念だ。
これは若者たちの置かれている現状の厳しさが、いまだに多くの人々の間で共有されていないことを端的に表している。
今回の連載を通して、「若者なんだから、努力すれば報われる」という主張など、ナンセンスであることを明らかにしていきたい。

いやいや、これは言い過ぎでしょう。

「若者なんだから、努力すれば報われる」という主張など、ナンセンスである

なんだかなあ。

もうなんかこの時点で出発点を間違っているような気がするんだよなあ。
そもそも若者だろうが、年寄りだろうが、努力すれば報われるかどうかは、その人、その時、その場次第。
必ず報われることもないし、必ず報われないこともないでしょ。
もちろんこの筆者が、「若者なんだから努力すれば報われる」という風潮に対して言っていることは分かってますよ。
でもナンセンスなんですか?
本当に努力しているんですか?
そういう問いに対して、きちんとした回答は、以下の文章でも出てこない。
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若者は働けば自立できる、働きさえすればまともな生活ができるという神話(労働万能説)が根強く存在している。
働けばそれに見合った賃金を得られ、その賃金によってまっとうな生活を営めるというものだ。
賃金を得るために、若者はどのような職場に入るか、どのようなキャリアを積むかで悩まなくてはならない。
また、安定した仕事に就くように要請する社会的な圧力にも悩まされる。
そのため、就職活動で人気があるのは、やはり一部上場企業であり、公務員志望の学生も増えている。
しかし当然ながら、上場企業へ入社できたり、公務員になれる人数はもともと決まっている。
すべての人がまともな賃金を得られる職業を確保することも、現実では不可能である。

 
もうため息しか出ないですよね。
一部上場企業や公務員になれる人はもともと一部でしょ。
なんか統計的に、30年前は30%の人が入れたけど、今は10%も入れないとかあるんでしょうか?
 
更に言えば、まともな賃金を得られる職種を確保することが困難なのは、年齢関係ないと思うんですが・・・・・
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事実、働いてもまともな賃金が得られる保証がない職種も増えている。
そして、その仕事はたいてい非正規雇用で、終身雇用ではないため、不安定な就労形態をとっている。
賞与や福利厚生がない職場も多く、働いたからといって、生活が豊かにならないことが現在の労働市場で起こっているのだ。
いわゆる「ワーキングプア問題」が注目されるようになってきた。
働いても貧困が温存されてしまうのである。
これは何も本人が低学歴であったり、コミュニケーション能力が低いということに由来しているわけではない。
大学を卒業しても、普通に働いて生計を維持することが急速に困難になっているのだ。

 
ここでも筆者は世の中の実情を知らないのではないかと思う文章がある。
まるでこの筆者に言わせると、非正規雇用で働いている人は、全て本来は非正規雇用で働きたいなんて思ってなかった人だと言わんばかりである。
ところが地方の中小企業の採用面接をしていると、そうではないことがよく分かる。
特に若年層に多いのだが、話をしてみると、別に就職なんてどこでもよかったとかいう人もいるし、「一生懸命探したんですけど正社員の職場が見つからなくて」なんていうやつに限って、ろくに漢字も書けない、足し算引き算さえ覚束ないなんていう、低レベルのやつだったりする。
私も非正規雇用で働いている人が全てそうだとは思わない。
でもこういうやつもいるのに、何かと言うとこの筆者のように若者は全て虐げられているというやつは本当に頭に来る。
 
「大学を卒業しても、普通に働いて生計を維持することが急速に困難になっているのだ。」
この一節にも頭に来る。
今時、4年生の大学を卒業したと言っても、まともに漢字がかけずに、足し算引き算は電卓でなんとかできるが、掛け算割り算になると出来ないなんていう人は、実際に相当数いる。
私の子どもの一人が、知的障害者である、どんなに頑張っても、数が数えられない。
これは仕方ないと思う。
もちろん勉強のできない人にも様々な事情があると思うが、でもやればできる人がほとんどだったと思う。
ところがかなりの人間が勉強に使う時間を他の様々なことに使っていて、それである。
だから、4年生の大学に行っても、そんな低レベルな学力のやつを見ると、本当に腹が立つ。
そして、そういうやつがまともな職場がないとか、賃金が低いとかいうことになると・・・・・
 
そもそも社会保障が充実している他の先進国では、賃金に依存しなくても、ある程度暮らしていけるため、過酷な労働にはそれなりの対価が支払われるし、ひどい企業も淘汰されていく。
 
そして言うに事欠いてこれである。
「賃金に依存しなくても、ある程度暮らしていける。」
こんな根底思想があるから、「若者の貧困に理解ある大人」なんていうことはあり得なくなるのである。
 
そして、労働市場の劣化は、若者の労働意欲を奪っていく。
どのように働いていくべきかを悩み、資格をいくつも取る人々、自己啓発に関する書籍を読みあさる人々などをよく見かける。
本質的には、この労働市場の構造を変えずに、彼らの苦悩は消えないのにもかかわらず、である。
 
じゃあ、自分で独立して働けばいいのである。
ところがこういう筆者に言わせると、そんな危険負担はしなくてもいいんだということになるはずだ。
だからそんなに他人任せな社会にしたいなら、社会主義国にでもなればいいのである。
ところが、若年層に限って政治にも参加しない。(かくいう私も政治には参加しないが)
 
また、たとえ働かなくとも、若者たちには父母や祖父母がいるので、多少おカネに困ったとしても、家族が手を差し伸べてくれるのではないかという神話(家族扶養説)がある。
しかし、もうかつてのように、家族は若者を救えない。
家族の世帯員が縮小し、相互扶助機能は前例がないレベルまで弱まっているからだ。
世帯年収も減少傾向にあり、若者の親世代や祖父母世代は、自分たちの生活だけで精一杯であろう。

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いやいや神話じゃないから。
もちろん筆者の言うように、そういう傾向はあると思う。
しかしそれは、祖父母の世代や親の世代からの遺産である。
そうでない家庭もたくさんあるのだ。
それをまたひとくくりで論じるあたりが本当にいや。
最近では当たり前になっているが、まだほんの20年とか30年前は、結婚して親と同居するのは当たり前だった。
もちろん大変だったのだろうが、家計的には大分助かったはずである。
ところが今は、結婚する前から親と別居したり、結婚したら別居するのは当たり前。
核家族もここに極まれりである。
本当に貧困なら、親の家からなんて出られないはずである。
それが昔は当たり前だった。
ところが今は、別居して、親の世帯とは別で家を構えられることが当たり前になっている。
私はそれがまずいとは言っていない。
でも、こういう貧困の問題になると、決まって出てくるのが、家賃がどうのと・・・・・・
もうだから、根本がなんか違うのである。

なんだかなあ。

 
(追記)
私の文章は私の感情的ブログの中のものなので、あくまで感情的に書いても問題はないと思う。
でも東洋経済オンラインは、他人に読ませることを前提とした、文章であることを考えると、あまりにも数字が出てこなくて、主観的文章すぎるような気がするのも、

なんだかなあ。

なのである。
 

時事

Posted by ymo