マイホームを持つことは愚の骨頂なのか?

2020年7月19日

愚の骨頂(ぐのこっちょう)とはこの上なく愚かなこと。


さて、マイホームを持つことが幸せだという気持ちは、本当に洗脳なのでしょうか?

なんだかなあ。


よく家を買うか、家を賃貸するのかについて、議論があります。

住宅ローンを組んで、高い金利を払って、家を買うのが得なのか損なのかと言われれば、う~んと考えてしまいます。

20年とか25年後の将来は分からないのに、ローンを組むことは、あまりに考え無しなのかも知れません。

ローンが終了する年齢が70歳とかに設定されていたりすれば、それまで同じように働いているのかとか・・・・・正直言って考えてませんよね、真剣に。

この問題は、よく議論の的になるのですが、議論することは面白いですが、結論が出ることはありません。

何故って、今話していることは、全て仮定の話であって、将来どうなるかは、将来になってみないと分からないからです。

ですから、将来こうなるよというパターンを想定して、その可能性に思いを馳せる程度なわけです。
 
それを踏まえて私の考えは、「いいんじゃない別に。でも私は家を買う必要があったし、そのことは良かったと思ってます。」という感じです。

もちろん、住宅ローンを組んで、ものすごい金額の金利を払うことを考えれば、金額的には損であって、得ではないでしょう。

住宅ローンが終わるのが70歳という設定になっていることはおかしなことかも知れませんが、それとても、死んでしまえば返済できるように保険には入っていますので、ある程度のリスクヘッジはできていると思います。

もっと言えば、住宅ローンが途中で返せなくなってしまったら、競売にかかるまでの間にどのように対処すればいいかも研究済みです。

繰り返しになりますが、住宅ローンを組んで、家を買うことは、金銭的には損であって、得なことはありません。

私がいいんじゃないかと思うのは、もうこれは感覚論に過ぎません。

家を買うと言っても、厳密に言えば、所有権は自分のものではありますが、住宅ローンが残っていれば、完全に自分のものなのかというと、おかしいわけです。

ですが、そこは何故か家を買うと、家は自分のもので、借りていると、人のものなのです。

これはもう本当に感覚の問題です。

借りている家に居る自分と、自分の持ち物の家に居る自分では、どっちがくつろげるのかと言えば、私は後者なのです。

これも、恐らく自分の親が持ち家に住んでいたからという感覚論に過ぎないことは分かっています。

賃貸物件に住んでいたとしても10年も20年もたてば、そんな感覚はなくなってしまい、いつしか借りている家だということも忘れてしまうかもしれませんが、賃貸物件に、障害を通じて4年以上継続して住んだことのない私には、それが想像もつきません。

奥様に家を変えを言われていたこともあります。

家族も買った家が、自分の家だと思ってくれていると思います。

傷つけられたり、汚されたりすれば、がっかりはしますが、それでも自分の家だと諦めがつきます。


こうして考えてみると、家を買うか借りるかという議論は、個人個人の持つ境遇と感情論になってしまう気がするのです。

またそれが洗脳だとしても、洗脳は洗脳されていることに気づくまでは幸せなわけですから、住宅ローンが返せなくて破綻してしまわない限り、家を買うことが幸せだと言うことを否定することもできない様な気がします。

何度も何度でも書きますが、家を買うことの方が、金銭的にはマイナスであることは、ほぼ間違いないとは思いますし、リスクも高くなりますが、これはもう感情論なのであります。

不動産

Posted by ymo