男女平等の履き違え
男女平等というと、田島陽子先生を思い出しますが・・・・・

この記事の内容には笑った・・・・・。

「男だろう!」と檄を飛ばしたら抗議された・・・・・・なんじゃそりゃ。
まあ言うのは勝手ではあるんですけどね。
なんだかなあ。
で、更に、女子マラソンに男子のペースメーカーを使ったら「面妖な時代」って・・・・・
なんだかなあ。
勝手にさせてくれよと思う。
平等というのは、一定の規則やルールに縛ることではないと思う。

そもそも「女子マラソン」っと銘打って、限定することは男の権利を奪うことにはならないのか?
(男子しか参加できない、男子しか参加できない雰囲気の大会が多いから、女子専用の大会があってもいいとか言うんだろうな。)
「女子」が「男子」の手助けをされたら、「面妖」なのか?
そもそも「女子」の大会のペースメーカーが「女子」に限定されているのは、男の権利を奪っていないのか?
もちろん、それをすることによって、相手の権利を圧迫することは問題なのだが・・・・。
「女子」より「男子」の方は、記録的には早いのは、間違いない真実なわけで、ペースメーカーとして「男子」を使うことに、何の問題があるのだろうか?
色々言うのは、簡単だが、常に「権利」を守ることを大切にして、言うのはOKだが、それを持って相手を制することのないようにしなければいけないと思うのだが・・・・・。
元に戻るけど「男だろう」と言ったのが、「男だから、無理してでもがんばれ」ということなのか、「男だろう(まだまだ頑張れるよな。)」ということなのか、それは、言った人と言われた人の関係やこれまでのかかわり方によって大きく変わってくると思う。
その単語や文章だけとって、批判するのはおかしいと思うのです。

それを聞いたら、男女平等を侵害する気がするから嫌だというのなら、その番組を見なければいいわけです。
別に大八木監督が女性を蔑視するために言った訳ではないだろうに・・・・・
なんだかなあ。
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