自由に対するバランス
人間は公平なバランス感覚を常に保てるような思考は出来ないようだ。
私が子供の頃は、左翼全盛期で、なんでもかんでも権利を主張していたが、その裏で実は義務もかなりきちんと実行されていた。
今は、右翼全盛期だが、それはあくまで表面的主張だけで、その裏では、自由というには、あまりも不公平な好き勝手な社会となっている気がする。
JRの電車を後ろから撮影していたところ、車掌が振り向いて「中指」を立てたとして、鉄道ファンがその写真や動画をツイッターに投稿し、物議を醸している。
撮り鉄に向かって「中指」立てる 車掌の行動をJR東が謝罪、本人は「カッとなった」と説明(2021/2/25リンク切れ)
正直いってどっちでもいいよと思う話題だが、なんか腑に落ちない。
この記事を額面通りに読めば、写真撮影していた人に、中指を立てるなんて、ひどい・・・・ということになる。
だが、本当にその撮り鉄達の写真撮影に問題がなかったかどうかは、本人達の主張であり、真偽のほどは分からない。
そして、なによりその車掌さんに肖像権はないのか?
人は誰でも私生活上の容姿を無断で撮影されたり、撮影された写真を勝手に公表されたりするのは不快であり、嫌悪感を覚えるものです。このような精神的な苦痛を受けないように保護を受けることのできる権利を肖像権と呼びます
https://www.jame.or.jp/shozoken/syouzoukentoha.html
その人は過去に撮り鉄に対して嫌悪感を覚えるようなことはなかったのか。
私はだから、車掌が中指を立ててよいと言っているのではなく、なんだか一方的なものの見方だと思ったのです。
なんだかなあ。
そもそも、撮り鉄なんて、ホームの片隅でひっそりと、申し訳なさそうに写真撮影をしていて、しかるべきというのが、私の持論でして、こうしてどうどうと人のあら捜しをしてアップするようなのは、個人的には「輩(やから)」としか思えないのです。
で、冒頭の話に戻っていくわけですが、そもそもホームの片隅で写真を撮影しているのは、その鉄道会社の好意であって、もちろん営業的に「どうぞどうぞ」という路線や場所もあるでしょうけれど、そうでない所では、あくまで善意で撮影させてもらっているわけです。
そんな中、車掌さんの一人が罵声を浴びせるでもなく、ひっそりと「中指」を立てたくらいなんてことはない気がするのです。
どっちかっていうと、よく気づいたな程度。
車掌さん側の立場に立てば、中指を立てる程、ひっそりと抗議をしなければ、いけない状態に、年寄りの私は違和感を感じるのではありますが・・・・・・
なんだかなあ。
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