同一労働同一賃金
同一労働同一賃金(どういつろうどうどういつちんぎん、英:equal pay for equal work)とは、同一の仕事(職種)に従事する労働者は皆、同一水準の賃金が支払われるべきだという概念。性別、雇用形態(フルタイム、パートタイム、派遣社員など)、人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のこと。
同一労働同一賃金、この言葉は、なんとなく理解できる。
そうあるべきだという話にも一応賛成する。
ところがである、そこから先がなんとなく理解できない。
例えば、上のwikiの定義では、
性別、雇用形態(フルタイム、パートタイム、派遣社員など)、人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のこと。
と書いてある。
この段階でもう理解できない。
「労働の種類と量に基づく」んですよね。
例えば、物を運ぶ仕事で、男性と女性を雇用したとする。
見るからに体格の良い男性と、なよなよした線の細い体格の女性が、同じ職場にいたとして、成果を同じく出せるだろうか?
仮に成果を同じく出したとして、上司の立場からしたら、どちらが使いやすいかと言えば、「これは重くて運べないだろう」とか思わせてしまった段階で、労働の種類は一緒なんだろうか?
だからどうしても、同一労働同一賃金というのは、そんなに簡単なものではないと思うのである。
人種によって、体が違うのは明らかである。
100m走で、長い間黒人優位である。
宗教によって労働に関する価値観が違うことも当たり前である。
イスラム教徒は、断食月とかあるではないか。
同じ人種、同じ宗教、同じ性別であっても、同一労働をしているかどうかは、その人個人個人の差によって変わってくるのである。
そんなに簡単に、同一労働同一賃金なんて、定義できるのか、不思議で仕方がない。
なんだかなあ。
情報源: 政府 同一労働同一賃金のガイドライン案を提示 | NHKニュース
政府は、働き方改革実現会議で、同一労働同一賃金の実現に向けたガイドラインの案を示し、正社員と非正規の労働者の基本給について不合理な差を認めないとするとともに、非正規労働者にも昇給や賞与の支払いを原則行うことを明記しました。
一般的には非正規の人は、正社員に比べて賃金が安いとされていますし、確かにそうです。
でも考えてみてください。
なんで非正規の人を雇用するんですか?
非正規の人を雇用するには、会社側でそれなりの理由があるからです。
また非正規の人を雇用する場合には、非正規の立場であり、それがどういうことかは、働く人に説明しているはずです。
(そうじゃないとかいう、ブラック企業の話は少しおいておいてください。これについても個人的には言い分があるのですが。)
それに本当に正社員の人は、非正規の人と同じ仕事なのでしょうか?
精神的責任感は評価されているのでしょうか?
ここで簡単な例をあげて考えてみます。
①仕事に対して責任感を持っている正社員
②仕事に対して責任感を持っていない正社員
③仕事に対して責任感を持っている非正規社員
④仕事に対して責任感を持っていない非正規社員
この4人が居たとして、この4人が表面的には、同一労働をしていたとします。
もちろん責任感を持っているというのが、精神論なのか、具体的な業務に現れるかにもよるでしょうけれど、極端な例として、上司としてそう思えるというのも評価をしてはありだと思うのです。
そうした時に、②は問題ありなのですが、私的には③は、自ら進んでただ働きをしているという場合もあり得ると思います。
仕事には、発注した側の要求レベルがあります。
要求したレベル以上のものを提供しても、対価にはならない場合があります。
非正規社員が要求した以上の仕事をしたとして、それが給与として現れないとして、それを問題視するべきなのでしょうか?
こういうことを考えてしまうのは、特殊例なのかもしれませんが、同一労働同一賃金というのは、そういう精神的な部分だってあると思うのです。
別の観点から考えると、雇用する側もずるいと言えばずるいという側面もあります。
非正規で雇用する人は人件費の調整弁だということを、やはり面と向かっては言えない部分があるわけです。
そんなことをおおっぴらにしては、いかに非正規だとは言え、働いてもらえないからです。
日本の場合は欧米と違って、そもそも首を切るという習慣があまりないのですから仕方ない面もあるのかもしれません。
ですから、同一労働同一賃金を目指すなら、もっと採用という市場が、もっと流動的に、ドライにならないと難しいと思うのです。
例えば、仮に勤続年数の古い正社員と、勤続年数の少ない非正規社員が居たとします。
この2人が、同一労働だったとして、勤続年数の長さという精神的安定部分は評価されるのでしょうか?
その評価は同一労働とはなんら関係ないのでしょうか?
もっと言えば、社長の大好きな正社員と社長の嫌いな非正規社員が、同一労働だったとしても、同一賃金でなければ、いけないのでしょうか?
そう考えていくと、そもそも同一労働同一賃金は、制度で出来上がるものではなく、流通する労働市場が形成する幻なのかもしれません。
中古市場だって、オークションという仕組みが出来上がってこその同一物同一販売価格なのですから。
流通量が少ない商品は、同一物同一販売価格にはならないものです。
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