人生における目標

2021年1月11日

このところ、人生における目標を失っております。

子供も3人の内、2人は成人して、評価の如何は別としてなんとか独立して活動しています。

残りの一人の子供については、知的障害児ということで、将来に期待は出来ず、何かを考えてあげようにも、先々の変化があまり見られない状態では、大きなモチベーション足りえません。

幸い仕事はありますので、収入もありますし、大きな借金も返済出来、残りの借金も残っているとは言え、このままでいれば返済出来ることは見えてきました。

そしてそうこうしている内に、寄る年波には勝てずに、目の老化、そしてそれに伴う視力の低下、そして趣味の小説や動画閲覧も段々厳しくなってきました。

他に特にしたいこともなく、ある程度したいことはしていますが、疲れやすい体に鞭打って何かをすると、その後の体からのしっぺ返し(ひどい片頭痛)が恐ろしくて、無理も出来ません。

数十年という長い期間、体に鞭打ち何かをしてきた自分からすれば、今の現状は歯がゆくてなりませんが、かといって、人生における目標というか、やりがいが見いだせないでいます。

非常に贅沢な状態だと言えるでしょうけれど・・・・・・

なんだかなあ。

こういうことは、頭でぐるうる回しているより、こうして文字にすると、いくつかの方向性も見えてくることがあるものですね。

そのうちの一つは、やはり体なのかなという思い。

これまでは自力で何もしなかった体に対するなんらかの資本投資をしなければならないのでしょう。

お金がもったいないとか、時間がかかるとかいうことから、体に対してはほとんど資本投下してこなかったので、この辺で本気で考えないと、ジリ貧なことに対して、これからどう向き合っていけるのか・・・・。

毎年目標はと聞かれると決まって、健康とか、体調管理とか言ってきましたが、その実、そのあたりは1月半ばになると忘れるあたり、まだまだ切実ではなかったのか、それともじっくり考える時間がなかったのか。

いずれにせよ、今年はそういったことを考える年になればと、改めて思いました。

人生における目標というタイトルから、またかなりずれてしまいましたが、1月にこういうことを考え、そして記録に残せるのも、ブログ(というか最近は日記になっている。)をやっているおかけですね。

これだけの文字数の羅列を手で書くのは、正直無理な気がしますし。